こんにちは!
ご覧いただきありがとうございます。
at Roomの西田ゆきと申します。
ここでは私自身について少しお話させていただきますね。
西田ゆき

名前:西田 ゆき
血液型:おおらかで大雑把だけど掃除好きなO型
出身:埼玉県
家族構成:ソース顔の旦那と小学生女児2人の4人暮らし
好きなもの(こと):ママ友と飲み会!レモンサワーが大好き!!ダークチョコレートも大好物ですが最近高くて…🥲
苦手なもの(こと):ホルモンと鶏皮の食感が苦手💦
推している人:ルセラフィム(ひとまわり以上年下のK-popガールズグループですが、パフォーマンスが超かっこいい!姪っ子を応援するような気持ちで推してます笑)
将来の夢:ルセラフィムのライブを最前列で観たい🙏
幸せを感じる瞬間:子供たちとドライブに行くこと🚗
よく行くお店:藤沢駅前のサイゼとデニーズ!外食好きな子供たちとファミレスめぐりしてます。ちょっと高いけど六合のマンマパスタも大好き❤️
私の人生は、ずっと挑戦の連続、そして「身体」との葛藤の連続でした。
バレエ、拒食症、アパレル、整体エステ、ピラティス、そして医療の現場。
遠回りしながらたどり着いた答えが「無理をせず、今の自分に合ったペースでカラダを動かす」という選択でした。
「細い=正義」に囚われた10代。安室ちゃん全盛期

バレエは母にやりたいとお願いして4歳から始め、14歳まで続けました。
バレエの先生は体型にとても厳しく「足が太い」「前ももに筋肉なんかつけたらバレエは続けられない」などと日常的に体型について言われ続け、”細い=正義”という方程式が脳に刻み込まれたように思います
(実はこっそり反抗して中学時代はバレーボール部に入部してしっかり前ももに筋肉つけました笑)
高校時代はカリスマ女子高生全盛期!ロールモデルは安室ちゃん!
可愛いカリスマ女子高生が雑誌の紙面にたくさん登場した時代でした。
私も真似してミニスカ&ルーズで女子高生時代を桜花していましたが、
私の中に根付いた”細い=正義”の方程式はここでも顔を出しました。
食べるのが怖い!ダイエットがエスカレートして拒食症に!
元々真面目でとことんやる性格が災いし、
ちょっとしたダイエットから徐々に拒食症へと変わっていきました。
周りからは心配され、食べろ食べろと言われる。
でも食べるのが怖い。そこで私は、どうせ食べるなら健康に良いものを食べようと考え、
図書館に通い詰めて栄養学の本を読み漁りました。
「何をどう食べれば太らずに健康を維持できるのか」を徹底的に調べて、自分専用のバランス完璧食を早起きしてして作って食べる日々。
キラキラした花の女子高時代とはどんどんかけ離れていきました。
カロリーとにらめっこし、学校帰りにスーパーで納豆とモズクを買うルーズソックスの女子高生(笑)。
高校三年生で彼氏ができたのがきっかけでやっと少しずつ年相応の女の子らしさを取り戻していきました。
この時、身をもって痛感した『極端なことは続かない。正しい知識とバランスこそが命』という教訓は今の私の指導の根っこになっています。

モデル活動&ショップ店員。華やかな世界の裏で、ボロボロだった20代
高校卒業後は親の会社が倒産するというハプニングがあり、進学を断念。
「どうせやるなら好きなことを!」とアパレルの世界に飛び込みました。
当時カリスマショップ店員が一世を風靡する時代でしたので、雑誌の取材等を受けることも多く、
並行してモデル事務所に所属して活動を始めました。
しかし、現実は甘くありません。オーディションには落ち続け、自信を失う日々でした。
さらに当時流行していたローライズジーンズにハイヒールで長時間立ち続けるアパレルの仕事はとても過酷で、
身体は冷え切り、ずっと浮腫んでいる状態。生理不順は当たり前の生活でした。
休みの日はホットヨガやエステに通って体を癒しながらなんとか仕事を続けていましたが、
20代後半に入りとうとう無理が続かなくなり
「華やかに見えても、中身が健康じゃないと意味がない」と気づき”整体・エステ”の道へと転身します。

「ほぐすだけ」では変わらない。運命の出会い
エステ(痩身・小顔矯正)、整体の世界には約7年身を置きました。しかしこれもまた重労働。
ずっと前傾姿勢で施術ををしながら痛む首を揉みつつ「首をもぎ取って一回洗いたいね」
と仕事仲間とよく話していました。
お互い施術し合いながら辛いところをでほぐしてもすぐまた辛くなる身体。
そして施術をして一時的に楽になってもまたすぐ同じ不調を訴えて戻ってくるお客様を見て、私はある疑問を抱きます。
「マッサージで外からほぐすだけでは、根本的に身体を良くすることは難しいのではないか?」
そんな時に当時の勤務先の合併があり、ある1人の女性オーナーと出会いました。
その方はスポーツトレーナー兼セラピストで、当時サロンで運動指導と施術の両方を行っていました。
オーナーは全力で仕事して、私を連れてたくさん遊びに連れて行ってくれる後輩思いの方で、私の憧れの女性でした。
そして「身体を変えたいなら、正しく身体を動かすことが必要」と教えてくれた方でもありました。

ピラティスとの出会いで人生が変わった
そこから私は運動生理学や解剖学を学び直しました。
エステや整体と同時に運動指導を行うことで、確実にお客様の身体も、自分の身体も良くなっていくのを感じました。
そして自分自身の健康のために、
当時まだほとんどピラティススタジオがない頃に唯一三軒茶屋にあったマットピラティスのスタジオに通い始めました。
ピラティスは今まで学んでいた運動指導とは全然違ってびっくりしたのを覚えています。
「とにかくカラダの内側が熱い!」というのが第一印象です。
おそらく初めて意識をして呼吸をしたことでインナーユニットが活性化したのでしょう。
当時の私は生理不順の治療で女性ホルモンの薬を飲んでおり、
むくみとだるさを常に抱えていましたが、
たるんでいたウエストが1回のレッスンで引き締まったことに感動し、ピラティスの勉強も並行して始めました。
そこから「自ら動くことでカラダを整える」ピラティスの世界へとどんどんめり込んでいったのです。
実はピラティスを本格的に学び始めて少し経ったタイミングで妊娠がわかり、産前産後は図らずもピラティスを人生で1番やり込んでいた時期と同タイミングでした。
「順調にマタニティライフを過ごし、産後の不調も少なかったのはピラティスのおかげだ!」
とさらにピラティスの虜になったのはいうまでもありません。

整形外科とピラティス、二足のわらじ
しばらくは子育てに専念し、産後の仕事復帰のタイミングで、
私は『整形外科のリハビリ助手』と『ピラティススタジオ勤務』を掛け持ちするようになりました。
整形外科での経験は、私にとって衝撃の連続でした。
医療の現場やリハビリもたくさん見学をさせてもらい、たくさんんの症例を目で見て触れて学びました。
レントゲンを見ながらドクターや理学療法士の先生と連携し、
「こういう症状の人にはここの筋肉の強化が必要」
といった医学的な視点からのアプローチを徹底的に叩き込まれました。
「ただ痩せるため」ではなく『一生使える身体を作るため」のピラティス。
その重要性を、患者様との関わりの中で深く学びました。

インストラクターを育てる立場へ!順風満帆と思いきや、、、、
整形外科を卒業後は、大手スタジオでグループレッスンをメインにピラティスインストラクターとして働いてきました。
社内公募に立候補し、マスタートレーナーとしてインストラクター養成コースの講師も担当させてもらいました。
講師としてたくさんのインストラクターを輩出し、
卒業生たちが活躍する姿を見るのはとても嬉しく、やりがいを感じました。

突発性難聴が教えてくれた「本当に大切なこと」
順調にインストラクターとしてキャリアを積んでいるように思っていましたが、
インストラクターと講師の2足のわらじ+育児の多忙な日々と、
大きなスタジオで声を張りながのレッスンが知らない間に負担となり、私は突発性難聴を発症してしまいます。
突然片耳が聞こえにくくなったとき、神様から「ちょっと立ち止まりなさい」と言われたような気がしました。
キャリアアップを目指して走り続けるのか、それとも自分の健康と家族との時間を守りながら、目の前のお客様一人一人と丁寧に向き合うのか。
悩みに悩みましたが、私は後者を選びました。
これまでの経験が今の私のピラティス指導の土台になっています。
痛みや不調がある方、運動が久しぶりで不安な方でも、安心して通っていただけるように。
私のように頑張りすぎてしまう方がほっと一息つける場所でありたい。
無理をせず、比べず、自分のペースで体と向き合える場所になれたら、という思いで立ち上げたのがこのプライベートスタジオです。
スタジオ名『at Room』に込めた思い
この名前は私を運動指導の道へと導いてくださった女性オーナーさんが大切に使っていたサロン名でした。
お互いに妊娠出産というライフステージを迎え、そのサロンは一度クローズすることになりましたが、
「ぜひこの名前、使って!」そう快く託していただいたことが今の私のスタジオの始まりです。
at Roomには「友達の家に遊びに行くような感覚で、安心して過ごせる場所であってほしい」という思いが込められています。
その思いを大切に受け継ぎながら、今の私だからこそできる形で、一人一人のお身体と丁寧に向き合っていきたいと考えています。

